冬至も間近で日が短いから夜の9時には寝てしまうことが多くてそうなると夜中の2時頃には冴え冴えと早起きするから明け方まで本を読む。
白川静博士の「常用字解」を気ままに繰ると、たとえば「道」の説明には「異民族の首を魔除けにかざしながら曲がりくねったところを行くさま」とある。あるいは「取」という字の右側「又」は金物の刃を示す形で、これで敵の死体から耳を切り落として戦果をカウントしたところに由来するとある。読めば読むほど漢字というのは命のやり取りの、それも膨大な繰り返し所産と思える。文字が今のようになる前の、祈りや呪い、驚いたり寿(ことほ)いだり、日々の節々からにょろにょろと絡みだすように文字ができたか。
ときどき思うのは、言葉の始まりについて。
生まれたばかりの人たちを大勢集めて、渺茫と広がる大自然の懐で私たちが一言も発することなく見守って育てる。彼ら彼女らが幾世代かを過ぎ越していつか、だんだん言葉ができていく道筋の、それはどんなものだろうかと、ときどき思う。
何かの拍子に喉の奥から哭くもののが折り重なって祈りになり歌になり綾をなして言葉になる。その始終を聞き届けていつか、私たちが黙ったまま森から姿を消す日の、そんないつか。