野鍛冶になろう、という趣旨にご興味いただきありがとうございます。
今回、鉄や金属への知見や技法を皆さんと共有できる機会に恵まれ、講師を務めさせていただきたく思っています。
まずは僕の経験した事から、金属にまつわる思いをお伝えできればと思います。
少々熱く書いてしまいましたが、ご一読いただけましたら幸いです。
僕は幼少の頃より、亡き父親と登山や野山へ行き、岩や沢、そこに生きる動植物の美しさを知りました。
父と遠くに出かける休日以外は、町中にある小さな自然、防空壕の跡や、住宅地の裏山に入っていました。
毎日のように昆虫や生物の図鑑を読み、町には居なくなった彼らの神々しい姿に憧れていました。
彼らの世界に近づきたい思いは膨らみ、彼らに仲間入りし、共に生きたいと憧れながらも、
そこへ赴いたときや、自宅近くで捕まえた生物達の飼育をすることで
夢のような世界を近くに置こうとしていたと思います。
田舎へ行けば一日中草地や用水路、池や沼、森の中に居たのを覚えています。
また、そこから横浜の家に帰ると、限られた自然の中で彼らが生きる場所を探しました。
直感が誘い、段々と、なかなか逢う事の出来なかった生き物たちに逢えるようになり、とても嬉しかったです。
深く茂みに分け入って、崖を登ったり、土の匂いに包まれる防空壕で寝てみたり、
そうして気づいたことは、憧れている彼らと自分自身の肉体の違いでした。
身体を寒さや雨から守る体毛や、土を掘ったり木に登ったりできる爪、獲物を捕らえる牙など、
匂いや音に集中はできても、彼らの世界で自分が生きる力の足りなさを知りました。
そんな時でした。毎日小学校へ向かうアスファルトの道に、
銀色に光る、幅1センチほどの細長い金属片を見つけたのです。
長さは30センチほどあったと思います。
それが見えて、手でつかむまでの間はとても短い時間でしたが、
今までの暮らしとは違う世界へ踏み出す、大きな隔たりを越える近付き方でした。
手にした途端、全身にすーっと緊張が走り、恐怖と同時に、同じ大きさの恍惚とした快感を感じたのを覚えています。
それは冷たく、とても硬く、振り回せばその先端までつながっている自分があり、太陽の光を反射していました。
家での生活でフォークを使ったり、鉄棒にぶらさがったり、金属とは触れ合っていたはずですが、発見と共に、心の奥から望んでいた力を得たような気持ちになったのはこれが初めてでした。
それからの僕は、その金属片を持ち、自然に分け入るようになりました。
なにかまだ見ぬ世界へ連れて行ってくれるような、力強さを得たような心は、、
その力を試してみたいという欲求に変わり、多くの植物を切り、いままで入れなかったその奥へ進みました。
それまでは手で植物を分け、必要があれば手でちぎり、四つ這いになり、茂みに潜っていた僕は、とても速く、奥へ奥へと分け入れるようになったのです。
植生が生い茂り、本能が恐れていけなかった先へ進めば、そこには確かにまだ見ぬ地はありました。
その場所へたどり着き、座れる場所を探し落ち着くと、踏破したという達成感がありました。
しかし、得られるものはその達成感だけでした。
僕が知りたかったこと、出逢いたかった生き物はおろか、もっと簡単に出逢える生き物でさえ、そこにはいませんでした。
そうは言っても、落ち葉の下をめくれば、ダンゴ虫やミミズなどが暮らしていたでしょう。
金属片を持つ僕は、もう彼らには目がいかなくなっていたという事でもあります。
もっと、出逢う事の難しい生物に近付くため、僕は金属片を手にしたはずでした。
そして、そこに漂うものは、達成感よりも呆然と広がる、感じたことの無い静けさでした。
僕はもう、一人でした。出逢いたいものに出逢えなくなっていました。
物言わぬ木々でさえ、それまではなにかを囁いていました。その声を注意して聴き、静かに進んでいた頃があったのです。
僕は力を失った事を知りました。
それを取り戻すには、引き換えにやってきた快感と達成感のようなものを手離さなければいけないということも知りました。
「自分で選ぶんだよ。」と、父は良いアドバイスを端的に言ってくれました。
それから、金属片を手離すまでは時間がかかりました。
なにもかも失ってしまうような気がしたからです。
それからの僕は、自然に遊びながらも、道で動けなくなっている、越冬に失敗した小さな生き物達を春まで預かる事に専念しました。
飼育はやめました。どうしても目の前で死んでしまうからです。
見つけた生き物の越冬や孵化の手伝いをして、庭の適切な場所や自然に返しました。
春に、彼らと別れ、気づけば家の壁や石の陰に彼らが棲みついてくれて、
またしばらくした後、彼らの子孫を見つけることは本当に素晴らしい経験でした。
その頃、僕はある蝶に近づきたく思っていました。
名はイチモンジセセリと言って、とても速い飛び方をする蝶です。
この蝶はとてもかわいい顔をしているのですが、
非常に繊細で、警戒心が強く、なかなか近づくことはできません。
その蝶が、寒い秋の日に道で動けなくなっていたのです。
千歳一隅の機会に僕は心躍らせ、両掌の中に入れ、温めながら家路に付きました。
そのかわいい顔をみたくて、少し手のひらを広げたときに蝶は飛び出してしまいました。
歩道から車道へ力なく羽ばたいたのを見て、僕は蝶が車に踏みつぶされぬようにと、車道へ歩み出てしまいました。
自動車の往来を確認したつもりでしたが、まったく見えていなかった僕は、
走ってきた車のサイドミラーに頭を打たれてしまったのです。
本当に自動車の方にはご迷惑をおかけしてしまいました。
そのまま救急車で運ばれ、あくる日から頭に巻かれたネットが、八百屋で売っているメロンのようで恥ずかしかったです。
そして、その日からすべてが変わりました。
信じられない事ですが、憧れの生物達が我が家にやってきてくれるようになったのです。
例えば、横浜市ではありえない、美しい雑木林でしか逢えないであろう、シロスジカミキリが網戸に止まっていたり、
住宅地ではいるはずのないヤマトタマムシが壁に止まっていたり、我が家にはいなかったルリハンミョウが暮らし始めたり、
タイワンカブトムシまでが飛んできていました。そうして、あの金属片は記憶の奥の方へしまわれていきました。
いまでも、大自然に分け入る時は、心して、必要最低限の方法で手持ちの刃物を使うようにしています。
そして、あの銀色の金属片はどこかに無くしましたが、今でも心の中に大きな畏れとしてあります。
その畏れは思春期の頃より、僕を金属加工の世界へ誘いました。
不思議な物です、忌み嫌う事はありませんでした。
僕ら人間がこうした社会をつくった礎は火から始まり、
鉄や銅を自然から取り出す、金属製錬技術の発見だったと思っています。
鉄器や金属器さえしらなければ、大きな戦争や、大きな自然破壊はありえなかったでしょう。
そして、僕らの寿命は太古とそれほど変わりなく、短くも自然と一体の生活をしていると思います。
いま、そこに戻ることはできません、しかし僕らの身体の中には太古から受け継がれた遺伝子の記憶があります。
この星の80%は鉄でできていると言われています。
僕らの血が赤いのも、酸素と鉄が含まれているからという事はご存じだと思います。
僕ら人間が鉄を、金属器を知ることは自然の流れだったのでしょう。
そして、これからも脈々と続く時の流れの中に僕らはいます。
己の中にある自己本位な気持ちを自覚したうえで、注意深く向き合う素材であり、
それを扱う技術を学べば、固い金属は形を変えてくれます。
なにかを作るという事は、目的があるものです。
その目的とはなんでしょう。今いちど、思考を火と金属に委ねて、何かが生まれ行く真っ最中に用途を見出してみませんか。
火のなかに投じられた金属は、地球の核やマグマの様相を垣間見せ、
火からあがれば、その頑丈さをもって、返答してきてくれます。
あらためて僕らは地球の恩恵に感謝し、手の中から、金属と向き合う心を育てるべきだと思うのです。
僕の学んでいることを皆さんと共有し、共に学び合い、素晴らしい関係になれることを願っています。