ひとごろし。
夫(若山富三郎)を殺した兄(鶴田浩二)の背中越しの、女(藤純子)の血を吐くような台詞。
笠原和夫脚本の「総長賭博(1968年)」は、三島由紀夫が「絶対的肯定の中のギリギリの人間悲劇」などと難しく褒めたところから一躍して文芸作品となった任侠映画。笠原さんはギリシャ悲劇までしっかり読み込んでドラマを探求してきたゆえに、気脈が通じたのでしょう。
そのギリシャ界隈で、3000年ほど前に文字を発明した人間は、わずか数百年で文字を使いこなしたようです。つまり人間の本質そのものに型紙をあてるようにして、文字を針と糸のように操って「人間はこういうものだ」と縫い付けた。
それから二千年やそこらで人間は何も変わっていないから、その型紙はいまも十分に使えるらしい。
それで笠原さんは「義理と人情」のせめぎあいを、ギリシャ悲劇の「神の掟」と「国の法」の対立になぞらえて任侠映画を作った。だから「仁義なき戦い」も繰り返し観て飽きない。夏の暑さを忘れるにはこれがいちばん。
あるいは昨年の邦画「スパイの妻」は、満州での日本軍の生体実験を知ってしまった男が図らずもスパイとされていく物語です。妻を演じた蒼井優の取り憑かれたような怪演は後半が凄い、ギリシャ悲劇「アンティゴネ」そのもの。
左様な次第で、ただいま頭の中は紀元前のギリシャ界隈にあります。古典はありがたいとしみじみ思う。
余談ながら、蒼井優が主演した「フラガール」の母親役が藤純子(藤司純子と改名しています)です。アンティゴネ同士の共演ですね。
(須藤章の個人フェイスブックページから転載しています)