76年前の昨日は、ポツダム宣言の発せられた日です。
「大歌謡論」 平岡正明
「王道楽土の戦争」 吉田司
「戦後ゼロ年 東京ブラックホール」 貴志健介
「日本のいちばん長い日」 半藤一利
戦前と現在をブリッジする本をあれこれ読む。
作家の山本夏彦は「過去100年は同時代」と言った。
すなわち呼べば応える程度の「指呼(しこ)の間」であると。
その同時代の人たちの発言、行動、あるいは不作為を知るのは、歴史を学ぶというよりも、いまの私達につながる気質、体質、性格、情癖、体臭の一切合切を写して焼き込んだ昔の写真をルーペで覗き込むようだ。
目的も曖昧なままに始めてしまった戦争を、それ故にやめられない泥沼。ポツダム宣言後も埒が明かないままに空爆は全国に及び、原爆が投下、和平工作の仲介役を密かに期待していたソ連も参戦し、最後の最後は御前会議での天皇の裁断で受諾を決定。このあたりは半藤さんの一冊に時間刻みで記述されているから、大人こそ読んで欲しい。いまも本質的に同じようなやり取りが、官民を問わずどこにでもあって身につまされる。時間のない人は同名の映画でもいい。笠智衆が演じる鈴木貫太郎(戦前最後の総理大臣)の飄々とした名演があります。
百年を少しはみ出せば戊辰戦争に遡る。
ここから今までを、ずっと辿っているのが冒頭の二冊で、平岡正明や吉田司を今どき読む人も稀だろうけれど、こういう仕事でフリーランスのライターが食えたのだと、それはむしろ隔世の感がある。
そして来月の8月31日を76年バックすれば、東久邇宮内閣から発せられた「一億総懺悔」というメッセージがあります。
「皆で一緒に悔い改めて国体を護持しよう」という無責任。
こうして何もかも曖昧な言葉で流してしまう風潮は、いまなお続いているでしょう?この夏あたりに、また同じような言葉を、誰かの意を汲んだお調子者が言い出すのじゃないか、どうだろう?
このモヤモヤとした「すがすがしくない」気質体質は、一体どこから受け継がれてきたものか、少し違う角度から読んで考えたいと、それが夏からの課題。