二月から空が動き出しました。
疾風怒濤の五月の向こう、梅雨前線が句読点を打つ六月まで目まぐるしい季節が続きます。南風に吹かれるままにあれもこれも空に舞う、散る、通り過ぎてゆく。地上の花がらも土埃も吹き上げて、微小な散々を刷毛で塗り重ねた空は朦朧と在って、物事いっさいの輪郭も境界も滲んで、花も樹も、あなたも私も、彼此(ひし)の綾目を手探りしても覚束ない夕まぐれの残照。「モウ帰ロウ」と小さな声が聞こえても振り向かないほうがいい、そういう季節。
日毎に育つ緑に彩も影もあるけれど、お互い同士がどう馴れつながっているのか分からない、その分からないままに育ちあってまた枯れてまた育つ毎日を繰り返す真上に、どこか光を薄めた空が秋の台風の到来まで広がる。
東京には空がない、という智恵子抄の一節は、岩手の空を仰いで育った人ゆえの言葉と思う。雪は雪で太陽は太陽で、くっきりとそれぞれが意思を携えた空を幾たびか見あげてから関東平野に戻るといかにも空が薄くて脆い。世界のどこであれ、気候風土の土や水に滋養されて人間の精神風土になるのだから、この湿度の高い平野に大勢が袖を触れ合って、気遣いながら軟骨同士をすり合わせるように微妙なニュアンスをやり取りするのは、たとえば責任の帰結などの峻険なやり取りにはなかなか向かないことだと、よく思う。そこのところはどうだろうか?
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