天気が一番気になる9月を過ぎて、まだ気が抜けない10月を迎えました。
NHKラジオの「気象通報」は、メインが漁業気象なのですが、農家でも気象通報を聴きながら天気図を書き込む人もいます。手で書きこんでこそ空模様が読めるのでしょう。その気象通報の朝の放送枠がなくなっているのをつい最近知りました。各地の測候所から定時定刻に届く気象データを淡々と読み上げるそれだけの15分の饒舌。一切の形容詞がない言葉の美しさは、朝こそふさわしいと思うのだけれど。
「気象庁予報部発表の今日×時の気象通報をお伝えします。石垣島では北北西の風、風力3、天気雨、気圧950ミリバール、気温22度・・・淡々と読み上げるアナウンスが那覇、南大東島、名瀬、鹿児島、福江、巌原、足摺、室戸・・」アナウンスは各地の港や岬を辿って関東へ、八丈、銚子、さらに北へたどる。
そんな気象通報のラジオの向こうに見える光景は、いつも夜明け前の海だ。鈍色の霧が目の前まで垂れこめる堤防には、ささくれた波が寄せ返す。エンジンを暖気している漁船の上では、無線のやり取りや魚群探知機の動作確認に余念がなくて、咥えタバコと熱いお茶を啜りながら、右や左のスイッチを繋いだり切ったりしている。そんな光景。
気象通報はさらに小名浜、輪島、仙台、宮古と北上して根室、稚内、そこから先はソ連という国。カタカナの地名から韓国、台湾、北京、上海その先のアモイはいつもモアイに聞こえてしまって、南太平洋の古代文明が瞬いた。さらに南の海へ気象通報は続く。空が広がる。霧が晴れて来るにつれて頭の中で反復している楽曲の階調が上がる。昨日の続きの今日が始まる。円環が閉じる。
いまの気象通報は、届いたデータを自動音声で放送しているのだろうか。
たとえばの話、この列島で、ある日ピタリと人間がいなくなっても、太陽光や風力でバックアップされた測候所は止むことなく毎日データを送りだし、それを機械が無言で読み込んで、いつも通りの音声が定時定刻に世界に飛んでいくのだろうか。
満月になると眠れないものだから、徒然に空を想って眺める月は、すっかり巡りきって遠い。
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