植物のまなざし

夜な夜な目を造っています。
人形づくりをはじめて気づいたのは、
どうやら自分は目がつくりたいのだということでした。

畑や森に佇んで感じる何か。
冬枯れたキャベツの落ち葉から触れてくる一瞥。

それを目で表現するのは野暮だと自分でも思います。
いうまでもなく植物には目がありません。
必要がないからです。

そもそもの話、
目を持つ生物の出現は、カンブリア時代だそうです。
5億年前の三葉虫か何か。
あのあたりが、エサを見つけるために目を備えた。
そうしてエサにされるほうも、三葉虫を見つけるために目を備えたと。
軍拡競争のような成り行きですがつまり、それより前に目というものはなかった。

そのようなものとして、目は口や耳よりもこわい。
牙や爪のように怖い。
自分以外のものを取って食うために備わったものだからですね。

そう思うと、たとえば植物の根っこも怖い。
松の木は、太い根で岩を掴んで酸を分泌して、
蜘蛛が獲物にするように、じわじわと岩の精を吸い漁ります。

恐いと思うものをかたぎるのが自分の造形だとすれば、
次は根っこをひたすらつくるのだろうかな、
ううむ、それはないような気がする。

恐いだけではない何かが、目にはあるから。